青い華の散らす赤 






宿舎の裏手、日陰になりやすい場所に咲いたその花は青く、彼岸花のように葉がない。
ぽつりと一輪だけ控えめに咲いているその花。
それを涼羽は何ら躊躇なく乱雑に千切った。途端、青い花は枯れ干からびる。
更に涼羽が手を伸ばして根元を掘り出すと、その根は黒いコードの(ナリ)をしていた。
ギリ、と涼羽の手がコードを握る。
するとそれはある種のウイルスによってプログラムが崩され、ボロボロと姿をなくした。

「・・・・・・」

その場に残ったのは、枯れ落ちた花の骸のみ。
背を向け涼羽はどこかへと歩き出した。

しばらく歩き、人の気配がしない場所を適当にさまよう。だがふと足を止めると、
「フーン。ここでいいんだ」

ふと湧き出したかのようにその人物は現れた。
だらしなく着た和服、深紅の髪は前髪が右側にかたよって長く、右目をすっかり隠している。
常にゆるく笑みを浮かべた口元、その左下には小さな黒子がひとつあった。
どうにも他者にいけ好かない印象を与えるその青年を涼羽は見据え、呟く。

「・・・・・・火遠理」

ホオリ、と呼ばれた青年は口元の笑みを広げ、涼羽に五歩ほど近付いた所で足を止めた。

「ハァイ。火遠理デース」

間延びしてどこか嫌味な調子を作る。
トン、と地を蹴ればその身は羽のようにふわりと浮き、また足をつけた時には涼羽の目の前にいた。だらりとした着物の袖からやたらと白い腕が覗き、その両腕が涼羽の肩へ置かれる。
寄りかかるようなだらしがない格好で彼は「元気そォだね?」と目を細めた。

「いつから宿舎(アソコ)にいんの、けっこーヒトいるし?
 よく生活できんね、お前が。それともアイツらみんなイカレてんのかな?」
「そう見える?」
「・・・・・・アッハ、そう、お前変わったね? ヒトっぽいよ? D」
「・・・・Dじゃない」

ディ、と火遠理はもう一度言った。「お前のこの名前は剥がれない」。追い討つように。

「今んとこ二十人くらいだっけ、アソコにいる奴ら。ふふ、ねェ、何人ヤった?
 まさかお前がヤってないわけないよね。グッチャグチャでしょ?
 あーァ、見たかったなァ。血みどろ! アハハ! 幾つの神経ブチ切った?」
「・・・・・・うるさい。また夕木にあしらわれたのか」
「――ア? D、質問にはちゃんと答えなァ?」

一瞬にして火遠理の左目に狂気が宿る。涼羽の後頭部の髪を掴み、強制的に上向かせた。
不快そうに涼羽の眉根が寄る。しかし両手は抵抗の様子を見せず、むしろ強張っているようだった。それを見て取った火遠理の口端が吊り上がる。

「なァんだ、イッパイイッパイかよお前! それもそっか、反抗なんて知らなかったもんねェ」
「――、・・・・・用は。あの人達に関わろうとするなら殺す」
「あーあー、俺には笑ってくんないんだ? 一時間前は白い子供と楽しそうにしてたのにさァ」

白い子供、という言葉が出ると同時に涼羽の眼差しの険しさが一気に増した。
そこへ楽しむように次の油を注ぐ言葉が発される。

「用なんかアイツらブッ殺すに決まってんじゃんねェ!」

ズルッと火遠理の前髪の下――隠された右目のある箇所から(ツル)が這い出した。
紅い蔓だ。
これを切ったりなどしてはいけない事を経験で知っている涼羽は、すぐに回避しようとする。
しかしそれよりも速く火遠理の両腕が涼羽を抱き締めるように捕まえ、それは失敗に終わった。
血を吸ったような紅い蔓は涼羽の手首や腕など上半身を拘束する。

「やっぱさァ、Dがあった方が楽なんだってよ? 夕木サンお前のこと探してんの。
 確かに便利だけどねェ。あのヒトDのことしか興味ないみたいでさ、あーウッザ!」
「ッ・・・・!」
「お前マジでウザイ。なんでアレだけヤったのに生きてんのイミねェじゃんなァ!?」

服を破りそうなほどに涼羽の背中へ立てた火遠理の爪が、ジワジワと伸びていく。
それは布地を容易に貫き、皮膚を破り、肉を裂き、ゆっくりと拷問のように身を突き進んだ。
だが涼羽は声を上げず、ギシャッ、と怪奇な音とともにその背から黒い片翼を出現させる。
天使でもなく悪魔でもない、それはウイルスの翼。
例えるなら葉脈のような不規則な骨格をしており、どこか禍々しく温度がない。
それを見た火遠理は、ックク、と喉の奥で笑った。

「それ変わんないねD。そうやって拘束されてるとさァ、昔のまんまだよ」
「――――、」
「アハ、不機嫌そォだね。昔はお前、拘束衣しか着させてもらえなかったじゃん?
 それに使われる時以外は"あの部屋"にずっと閉じ込められてたしさァ、」
「もういい」
「――イイ人形だったね?」

涼羽の片翼が瞬時に形状を変えた。鋭い棘が何本も側面から飛び出し、火遠理へ向かう。
だが彼はすんでのところで交わし、浅い傷をいくつか作りながらもうまく距離をとった。
しかし自由に形状を変える片翼は彼を容赦なく追い回す。
ズッ、と棘の一つが火遠理の右腕を貫通した――が同時に、火遠理は左腕を薙いだ。
長く伸びた爪で涼羽を捕らえていた蔓をわざと切ったのだ。
やられた、と思いながら涼羽は即座にまだ巻きついたままの蔓を取り払おうとし――

「・・・・・・ッぁああぁア!!」

燃え盛る炎に包まれた。
火遠理の蔓は切ったその箇所から先端までが真っ赤に燃え上がるという機能を持つ。
しかも炎に包まれたものは焼けるのではなく、データが分解されていくのだ。
激しい苦痛を伴いながら、まさにバラバラにされるような感覚に陥る。
気がおかしくなりそうだった。
だが黒い片翼が涼羽を包むように覆ったかと思うと、炎が徐々に弱まっていく。
消される。
そう察知した火遠理は隙のあるうちを逃すまいと、今度は己も蔓を一本の鋭い棘へ変形させた。
それは弱々しくなった炎と片翼に包まれる涼羽を、いとも簡単に串刺しにする。
片翼の側面を貫いて涼羽の腹部を完全に貫いていた――だが。

「――この程度じゃオレは侵蝕できないよ。スクリプトキディ?」

侵蝕の逆流。
紅い棘はみるみるうちに崩れていき、火遠理の方へと短くなっていく。
それが隠れた右目へと到達する前に火遠理はまた自らそれを切り落とした。
ほんの数秒だけ起こった炎はすぐに散ってゆく。

「ホント昔じゃ考えられないくらい抗うようになったねェ? 馬鹿にして本気も出してない」
「・・・貴方も本気じゃない。――今更関わってくるな。どうして彼らにまで目をつける?」
「だってアイツらがお前の未練でしょ。邪魔なモノは全部消して気付こうよ、D。
 お前が大切にするものはミンナなくなるよ? 苦しんで死ぬよ?
 お前自身がブッ壊しちゃうんだから世話ァないよね、アハ、ッククク。
 ――それとも壊して直してまた壊すのを繰り返すのが大切の仕方なワケ?」

ヒュ、とわずかな音を聴覚が捉えたのと同時に涼羽は反射的に身を捻った。

「あっれェ、全然カン鈍ってないじゃん。せっかく限界まで襤褸(ボロ)にしてやろうと思ったのにさァ」

心も躯もね。そう言い、彼はまた嫌味ったらしい笑い声をたてた。
その手には脇差(ワキザシ)がしっかりと握られている。たった今涼羽を斬りつけようとしたものだ。
柄は臙脂で鍔は黒、紅色の細い帯が柄に巻かれ二本の端がひらひらと靡いている。
涼羽は軽く息を吐いた。そして黒い片翼から同色の何かを引き出す。
片翼はそれを出すと共にまた身の内へしまった。
"それ"は黒い刃。三日月の形をしており、一方の端に柄となる部分がある。

「まだ本気出さないんだ? ヤっていーの?」
「脇差を出しといてよく言う。貴方の本気は二刀流のはずだ」
「まァね。でもコッチの方がいたぶりやすくって楽しいんだ――よ!!」

金属同士がぶつかり合う音に似た音が響いた。
それはすぐに連撃の音へと変わり、しばらく続いた後に双方ともに後方へ跳ぶ。
涼羽は距離をとる動作の間にもその黒い三日月の刃を俊敏に投げた。
まだ着地する寸前だった火遠理は半身を捻ることしかできない。
そこで刃が妙な軌道で動く。
再び弧を描いて手元に戻ってきた刃を涼羽が掴んだ時、ボトッ、と重いような音がした。
腕が落ちた音だ。
火遠理の右腕は肩から少し先のところで綺麗に途切れていた。

「チッ。ブーメランかァ?」
「首を狙った」
「だァから避けたんデショ。腕は持ってかれちゃったケドねェ。
 ただ弧を描くだけかと思ったら急に不規則な動きするし? めんどくさァ」
「コレはオレの一部だから。好きに動かせる」

喋りながらも互いに隙なく次の動作へ移っている。
金属音に似た音が響き、互いの武器が空を裂き、奇妙に足音だけがしない。
――不意に涼羽の気が散り始めた。時折どこかへ視線を投げている。
その隙を逃す火遠理ではない。
左腕を一閃させた瞬間、脇差が涼羽の右眼を切り裂いた。

「あー……ソコ、ダメなんだっけェ? ッふふ、しくっちゃった」

しくった、と言う割にはわざとやったのだという空気を醸している。
ピタ、と動きを止めた涼羽は確かめるように右眼へ(テノヒラ)をあてた。
べっとりと手につく鮮血の赤色。
すい、と涼羽の左眼――水色の瞳が火遠理を向いた。

「よくも」

キシ、と黒い刃が軋んだ。徐々にそれは塵のように砕け、涼羽の左手に吸収されていく。

「右眼を」

酸化するようにザワリと瞬く間に右眼から流れる血、右手に付着した血も漆黒へと変わった。

「傷つけたな」

刃を完全に吸収した左手が不気味に黒く変色した。
上向けた五指が、禍々しく長大な鋭い爪へと変わる。
軟骨を砕くような音をさせながら現れたそれは、どんな獣のものとも似つかない。
まさに悪魔を彷彿とさせるような手だった。

ゴキン、

たったそれだけが耳に届き、次に瞬きをした時には鮮血が地に降った。

「――あーあ、やっぱめんどくさかったかなァ」

脇腹から引きずり出された内臓を涼羽に鷲掴みにされたまま、火遠理は言った。

「でも、」

それでも、ニィと口端を吊り上げる。

「コッチのが気持ちイイよねェ!!」

火遠理は隠された右眼のある箇所から一本、また一本と二本の刀を抜き出した。
鞘も鍔もなく、柄と刃のみのあまり刀とは呼べない代物だが。
まず一方の刀で己の内臓の一部を躊躇なく切り捨てた。

「アッハァ! グッチャグチャになるまで遊ぼうかDィ!
 アハハハハハハハハハハハハ!!」

「――後悔しろ」

咆哮を上げ、紅と黒が交わった。


※  ※  ※


膝をつく。グチャ、と気持ちの悪い感触がした。

「・・・・・はァ・・・・・」

深い溜め息をつき、涼羽はペッと口内の血を吐き捨てた。
血がほとんど黒に近いのはウイルスの骸も交じっているからだ。
今、左手はもとの肌色と形状に戻っている。
だが所々が裂け、通常に戻りつつある鮮血が幾筋も伝っていた。
とは言え、全身の八割が抉れている火遠理ほどではないが。

「――あーあー。ブッ壊れてんじゃねえか」

突如、その声は割り込んだ。
しかし涼羽は自分の背後から声がしたのにも関わらず、まったく驚いた様子がない。
むしろほぼ壊れている火遠理の方が、予想外だというような反応を示した。
ふと戦闘中、涼羽の気が散っていた様子を思い出す。
ああ気付いてたワケね、とノイズだらけの停止寸前な思考で理解した。

「ア アアア アレ ェ、? 夕夕夕夕yg木ssァ ン?」
「涼羽見っけたらすぐ連絡よこせっつったべ? 遊んでんなよ。しかも、」

突然現れた男――夕木(ユギ)はウルフカットにした銀髪をさらりと揺らして屈んだ。
そして涼羽の前髪を乱雑に掴み、顔を上げさせる。傷つけられた右眼は閉じられたままだ。

「本気にさせてまで、なあ。それじゃお前が勝てるわきゃねえだろが、火遠理」
「ッ アハ、hhh フ オモシロイ イイイ イ de――――・・・・・・」
「んだよイっちまってやんの。スーズハぁー、てめえが責任とんのか?」
「・・・・・・自業自得」

フン、と鼻で笑って夕木は涼羽の前髪から手を離した。水色の左眼はすぐに俯く。
――まだ恐怖心を忘れちゃいねえな。
過去が纏わりつき、過去に支配された部分は依然その身の内にある――そう夕木は確信した。
バイオレットの瞳を軽く細め、ただ僅かに口元を歪める。
哄笑したいのを抑えながら懐から煙草の箱とライターを取り出し、一本に火をつけた。

「・・・・・・ま。すぐにどうこうする気はねえんだ」

ふー・・・・・・と溜め息のように息を吐き出すと、深く吸い込んでいた紫煙が宙を舞う。
懐かしいその匂いに涼羽は若干眉を顰めつつ「いずれは、」と呟いた。

「ッハ。・・・・・・そのうちまた迎えに来てやるよ。イイコで待ってな」

冗談じゃない、そう言いかけた涼羽の口からは一言の声も出なかった。
逆らってはいけない。抗ってはいけない。背いてはいけない。受け入れなくてはいけない――
――違う違う違う違う違う違う。今は、違う、なのに、

「くはっ、そんな怖がんなよ。どうせお前は受け入れるだけだ」
「・・・・・・ちが、」
「"今"をいつ失くすか、って思うとビクビクするよなあ? でも安心しろ。
 そんなの意味ねえくらい、いずれあっけなくブッ壊してやるから。
 ああ、壊すんじゃダメか。うん、殺さねえとな。そんでお前はまた閉じ込めてやらないと」

気付けば手が震えていた。自分の両手を必死に握り締めながら、涼羽は恐る恐る夕木を見上げる。"四つ目"、そして"六つ目の家"でいつも涼羽を縛り付けていた瞳がそこにあった。

「逃げんなよ―――逃げられねえだろうけどな」

「・・・・・・ぃ、・・・・・」

「・・・・・心配しなくてもちゃんとまた仕事ができるように"注射"してやるよ?」

す、と顔を近づけて耳元で言われたその科白、それだけで涼羽は発狂しそうに思えた。
蘇るのは苦痛、鉄の味、絶叫、砕ける思考、身が裂ける感覚、終わりにある虚無。
少しずつ何かを失くしていく自分――
声を出せないどころか動けもしないでいる涼羽を見、夕木はふとあることに気付いた。
延々と滴り続ける鮮血。血溜まりのできあがった地面。乾かない血液。

「なに、自己修復機能ちっとも働いてねえのか。へえ・・・・・とうとうガタが来たか」

基本の標準プログラムが働いていない。見た限り、該当するシステムが壊れるような傷はない。
そもそも呼吸をするのと同じほどに基本の基本であるプログラムが壊れるなど稀有だ。
それこそよほど破壊し尽くされない限り。
だが夕木は余裕を持った笑みのまま、不意に持ち得るプログラムから右手へ大剣を現出させた。
「そのままじゃ戻れねえだろ。どうしてほしい?」。軽々と片手で大剣を振り上げ、問う。
暫し沈黙が降りた後、涼羽は掠れた声でこたえた。

「・・・・・・壊し、て、くだ・・・・さい」
「オーケイ。だが正しくは"復元させてください"だ」

どうせ壊れねえんだし、お前。
そう言いながら夕木は遠慮なく大剣を涼羽の胸部に突き下ろした。
激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛激痛。
すべてのデータの強制停止、続く崩壊、拡散、収束、再構成、復元。


存在。


※  ※  ※


「ただいまー」

お帰り、遅かったね、などとかかる声に笑顔で返しながら涼羽は二階へと行った。
薄暗い廊下を一人歩く。何となしにいつもより空気が冷えている気がした。

壊れた火遠理をゴミのように拾い上げ、背を向けた夕木はこう言い残した。
「これからジワジワ追い詰められてくぜ? ――お前ら」。
また巻き込んでしまうのだろうか。誰かが傷つくことになってしまうのだろうか。
そう考えどんなに悔やんでも既に"逃げられない"ことなどとうの昔にわかっている。

「・・・・・・」

自室へ入り、窓辺へ腰を下ろす。
見下ろしたそこには葉のない真っ青な花が一輪、しっかりと根を張っていた。



fin.
++++++++++++++++

実はスズが胸部を貫くとき、そして復元の直前、とんでもない痛みが走るという裏話。
本当に信じられないくらい、在り来りに言えばこの世のものとは思えないくらいの激痛が。
データが損傷=怪我で痛いわけで、それが胸部中央という中枢(スズにとって)を崩すどころか直後に
いっぺん全データが崩壊するのですから、まあ、うん(´∀`*)
だから自分でやるのは本当は怖くて仕方がない。
それで誰かにやってもらう。という。
ちなみに中枢の損傷具合によっては復元までは至らず、強制停止で終わる場合も。

ユリヤ



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