それでも、戦い続けた。 


 戦 場 1 0 の お 題 

 配布元:創作者さんに50未満のお題(http://box.usamimi.info/) 





01. side/suzuha

血の匂いが風にそよぐ。火の粉の弾ける音。久しぶりに帰ってきたと感じた。
思わずそれをぽつりと漏らしたら、すかさず紅月に小突かれた。
「何言ってんだ。お前の帰る場所なんかじゃねーよ。ココは、な」
暗に帰る場所は別にあると言い含ませているのがわかる。黙って頷いた。
……けれど、戦場(ココ)がオレの存在の本懐であるということも事実。
オレがオレである理由。
ったく冗談じゃねえよな、めんどくせえ、と紅月が呟くのを聞きながら。
乾いた空気を肌で懐かしむ。
目を閉じ。
すぐに開けて。
行くか、という声に返事代わりの一歩を踏み出す。
敵意、殺意、敵の矛先が反応するテリトリーの一線を越えれば。
瞬時に、それは始まる。
視線。気配。息遣い。切迫する。弾丸。刃の軌跡。増長する自身の、純粋な、殺意。
「――ッ、……」
右肩を貫く冷たさ。追って痛覚が呼び起こされる。
鋭く硬質な感触が骨を掠めて肉の間を貫通している――ああ、本当に久しぶりに感じる、
これは


鉄の感触








02. side/other

錆、土、硝煙、火薬、血やその他の体液、それらに腐敗臭が混ざったニオイの漂うこの戦場(イクサバ)で、まるでアダルトグッズの中に愛らしい人形でも放り込んだかのような、そんな違和感と異質さを纏った存在がいた。
アレはウチの仲間の証であるものがないから、敵サンの方のヤツなんだろう。
敵の将は何つったか、あー、あれだ、アカツキだ。黒髪に紅い瞳をした男。
俺は雇われの駒として前にも一度アイツのとことは軽くヤり合ったことはあるが(それでもちょいとした接触みたいなモンで、こんな戦争みたいな俺にゃ荷が重過ぎるほどの衝突になんてならなかった)、確か前はあんなのいなかったはずだ。
確かに、あんなおかしなモノはいなかった。
あんな、デタラメなモノなんかいなかった。
片手に、リンゴでも剥くのか、というような一本のナイフだけを持って、それでも銀色をしていたであろうそれはテラテラとぬめりを持った赤で柄まで汚れていて、そんな戦場に似つかわしくないモノに戦場らしいモノを塗れさせたそれを持った腕の、その持ち主の周りには、頚動脈を切断されたらしく首から上下を血だらけにした、或いは血を未だに噴出しているモノが、ごろごろと転がっていた。
なんだか虚ろに佇んでいたソイツはふと血塗れのナイフを放る。
切りすぎて、もう人の脂で切れなくなったんだ。そうわかった。
しかしそんなことよりも、俺にはわかりたいことがあり、それはどうしてこんな場所にあんな異質な存在がいるのかということであって。
ソイツは汚れきって後戻りできなくなった俺のようでもなく、こういう仕事に快楽を持って楽しんでるようなイカレた風でもなく、あぁ、アカツキんとこのヤツだもんな、しかしヤツらのように信条や一念を持っているわけでもない(ように見える)、そう、ソイツは自分の仲間達からでさえも浮いていた。
しかも、若すぎる。
敵サンの方はどちらかというと若いヤツが多いが、その中でも取分け若く見える。
っていうかよ、子供(ガキ)じゃねぇか。
そんなのを一人でヤらせといていいのかよ――なんて揶揄は浮かばなかった。
浮かぶはずがなかった。また見る、そうだ、ソイツの周りには死体がごろごろしている。これがガキのやることか?(違ぇ、フツーな人間ならガキでも大人でもやんねーコトだ)
ソイツは、怯えてんのか魅了されたのかバカになっちまったのか動けないでいる俺の視線の先で、死体の手を蹴り上げて、その手から跳ね上がった大振りの刃を片手でキャッチした。新しい武器を調達したのだ。
そして、何の感情も読みとれない、静かすぎる瞳が、俺を、

射る。

(ちくしょう、ずっと向こうを向いてりゃよかったのに。)

ソイツがこっちを向いて初めて気付いた。
俺から見て右は青。左は(その表情にやたら暖色が似合わなくて思わずホントにそれはお前のパーツなのか、と疑ってしまうのだが)橙。そんなオッドアイ。
髪は灰色。服装はラフ。ただ歩いてたら中学生か高校生の辺りに見えただろう。
顔は一言で言やぁ人形。体格はやっぱり、中学生か高校生の辺り。
でもソイツはそんな外見をしておきながら “この荒野の誰よりも戦場に似つかわしい” 存在だと、瞬時にして俺はわからされた。そうか、そうなんだ――ははっ前言撤回。
浮いちゃなんかいねぇ。あの存在は、ここでさえ、重すぎる。
それだけなんだ。
なんて、考えてる間も俺とソイツの視線は繋がっていて、更に言えばソイツの身体も完全に俺の方を向いていて、ソイツの片手には死体から頂戴した若干汚れたナイフが握られているのだ、ああ、そう、俺はアレに殺される。
「――――」
いやしかし、待て、オッドアイに灰色の髪そんで人形――Doll――D――?
待て、待て、まさかだろまさかアレは
「 ぬ   」
噂にしか聞いたことねぇがまさかあの(驚愕と焦燥でわけがわからなくなってきている間に、随分と離れた場所にいたはずのソイツは、瞬きをいくつかする内にもう俺の目前へと迫っていてしかし今更どうこうできるはずもなく、)
「     、」
最後にきちんと「え」を発音できたのかどうか俺にはよくわからなかった、それどころか本当にオッドアイのガキに殺されたのか、それとも流れ弾にあたったのか、もしくはボケっとしている俺がいつの間にか背後からヤられていたのか、それさえもわからないまま、
だって、仕方ねぇだろ、俺はもうマジでわけがわからなくなっちまったんだから。

(そしてこの戦いが終結する頃にはきっと俺のナキガラもめちゃくちゃになってわけがわからなくなっているんだろう、)

「      、     。」

(でも最後にガキが口を開いてなんか言ったように見えたのは気のせいか。)


はじめまして、さようなら。








03. side/suzuha

首を切るのが好きだった。
狙いやすく、壊しやすく、壊れやすく、頭蓋より柔らかくて、そのくせ致命傷になりやすい。難点といえば噴き出す血が半端でなく、汚れやすいということだけ。
でも首を狙う一番の理由はもっと他にある。
オレが。対象を壊すために一歩進む度、手を振り下ろす度、狂う度。 うるさく叫ぶやつが多いから。
『ひッ――』
口を閉じていればいいのに。
『ッうあああぁぁああ!!!』
例外なく絶句すればいいのに。
『 た す け て 』
そんな眼を、しなければいい、のに。
『――――!!』
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい黙れ
『    』
声を出させる前に首を刈ることを覚えた。声帯を、命と共に切断することを。
もっとも、オレを構築するウイルスに意識が持っていかれている時はそんなことも考えられなくなる、けれど。
でも、どうしてか。
真っ先に首を切り裂き、声など発する間も与えなかったというのに。
壊れる寸前の対象の眼は酷く不快だった。不快で、不快で、不快で、不快で、
聞こえるはずのない絶叫がオレの中でリフレインし続ける。
……気が、した。


鼓膜を震わす悲鳴








04. side/hoori

「アッハ。やっぱ血ィ見なきゃダメなんじゃん、」

ねェD――そう呟き、真紅の髪を持つその男は然も愉快そうに口端を上げた。
右側へ偏って長く伸ばした前髪によって右眼は隠されている。
口元は常に弧を描いており、だらしなく着崩した和服と相俟って軽薄さと微酔を帯びたような色が滲み出ているようだった。
夕色をした目線の先では、彼がDと呼んだ少年がちょうど見知らぬ誰かの命という機能を停止させたところで、飛び散った血液が口に入ったのか、それとも自分の口内を噛み切りでもしたのか、赤みの滲んだ唾液を地面に吐き出していた。
(随分ヤりやすそーだねェ。拘束されてないもんなァ。……アハ、両腕封じたまんま戦場(アソビバ)に放り出すなんて、けっこーコクなコトさせてたよねェ夕木サン。)
ゆらり、と木の枝から垂れ下げている足が揺れる。
腰を下ろした木の上。普段なら彼曰く“遊び場”へ乱入してもいいのだが、今は傍観を徹底しなければならない。今はまだ、“見つけてはならない”のだから。
(あーつッまんね。早く遊びたいのに、混ざり合ってドロドロになるまで――)
ハラリ。
どこから出てきたのか――否、間違いなくその青い花弁は今、彼の隠れた右眼のある場所から落ちた。一枚、二枚、三枚と零れたところで「ヤバ、」と彼が前髪の上からその場所を押さえる。
押さえながら、下を向いた。僅かに震える肩。
寒いわけではない。泣いているわけでもない。嗤っている。
「クハ、」
ゾクゾクとする想像の愉悦にいっそう口端が吊り上がる。
じんわりと立ち昇る、狂気に似た闘志。
瞬間、視界の端でDがピタリと動きを止めたのがわかった。
「――だァめだって、」
抑えなきゃねェ。呟き、彼は無造作に枝から飛び降りる。
数秒、まるでその場のみ重力が消失したかのように、ふわりと地へ立った。
そのまま軽く乾いた音をさせて踵を返す。
静かに歩き出し、途中、遊び場から逃げ出してきたらしい弱者(ゴミ)を(それは彼にとって暇潰しにもならなかったが、)手慰みに弄くって捨てた。

「さァてと、」

精々シアワセなユメでも見てな
お前は繋がれたままだって気付くまでさァ?


間諜行為








05. side/suzuha

なゆりが薙ぎ倒された。
視認して、しばらく様子を見たがなかなか立ち上がれないようで、吐血している。
見捨てろ
頭はすぐに答えを出した。しかし直後に紅い眼が脳裏を過ぎり、訂正を出される。
――お前はもう俺の仲間だろうが
――拾う? バカだなお前、こういうのは“助ける”っつーんだよ
……今、この場合も、助けるべきだと考えるんだろう。あの人は。
それならオレは従う。あの人の信条に従って、なゆりを助ける。
思考がそこに辿り着くまで、まだワンクッションいる。
オレにとって助けるとは、対象に害なすモノを壊すことで、あの人とは少し違う。
けれど。覚えた。確かに、覚えた。
でも、助けたいという気持ちは、少し。理解、できない。
だって
「う、ぁ」
役に立たないなら
「っ……?」

死んでくれないと邪魔。

「ひ、!」
顔の横わずか三ミリの位置を刃が横切った。
避けなかったら、ちょうど眉間のど真ん中だ。いい腕だと思う。でも。
「敵、もういないけど。壊したから」
「……あっ! ごめん! な、何してんだろ僕――ゴホッ、っつ」
慌てた声で喋りだしたと思ったら、咳き込み、それで薙がれた箇所が痛んだらしい。
腹部を押さえて目に涙を滲ませながら、また咳き込んでいる。
地面に座り込んだままの身体。酷く脆そうに見える。大きな銃器なんて到底扱えそうにない。撃てば、吹っ飛ばされるか腕が折れるだろう。しかも痛みで立てないなんて。この場所で。殺し合いの最中で。死ねば楽なのに。
お前も、オレも。
「……スズ?」
黙って見下ろしていたモノが……なゆりが、呼んだ。視線を合わせる。
「どうし、」
「立てないなら立てるまでオレの傍にいて。近付くモノ全部、オレが除去する」
言うと、なゆりは少し微笑んだ。そうして「ありがと」と言った。
ますます理解できない。
今、無力で、庇われるばかりで、足手纏いにしかならなくて。なんで笑える?
紅月がオレに何も教えなかったら。
痛みなんかで、もし一滴でも涙をこぼしていたら。
……オレの足元で唇を噛んでいるのを、見ていなかったら。
楽にさせたのに。

(違う、“殺す”は敵にすることだ、なゆりは仲間で、だけどなゆりは)

(役立たず、)

(だから でも  でも?)


冷えていく








06. side/suzuha

「――が、死んだんだ……」
伝えに来たのは鵲(サク)だった。
それを聞いたなゆりはついさっき回復したばかりだというのに、鵲に怒鳴るようにして場所を訊き、すぐにどこかへ駆けて行った。一大事だと、言わんばかりに。
……ああ。事実、一大事なのか。
それでもオレのナカはどこか凍りついたように冷徹で微動だにしない。
微塵も、揺らがない。
「スズ。どうする? なんならここ、」
「いい。……大丈夫。オレは戦える。鵲が大丈夫じゃない、だろ」
「……ごめん、任せる」
言ってすぐ走り去っていく後姿。安堵する。あんなんじゃ、頼まれたって戦わせられない。オレにさえわかるほど動揺しているくせに。代行しようとした鵲は、ridiculous……コッ、ケイ? 滑稽だったか。そんな風にも思えた。
ふ、と軽く息を吐く。
瞬時に身を翻した。振り下ろされた刃の軌跡が裾を掠める。次に拳。遅い。
隠れて近付いてきていた、ざっと見て二十余りの人間。
「仲間が二人ともどこかへ行ってしまった後なんて、キミは運が悪い」
「――いや? それより。オレを標的にしてしまうなんて、お前らは運が悪い」
最初の二撃は偶然交わしたとでも思ったのだろうか?
こいつらの存在に気付いていたから、鵲を行かせたのに。
「生意気なコドモだね」
にこりと、無機質な笑顔をそいつは浮かべた。一人、先陣を切ってくる。
間の抜けた大人だな。
一斉にかかってくれば少しは生存率が上がったかもしれないのに。
――そうだ、彼女への餞(はなむけ)に、せめて。
彼女だけが綺麗だと言ってくれた蝶を、遊ばせてみようか。
ウイルスはあまり使うなと言われている、けど。戦場(ココ)に花はないから。
何より。故人には花を手向けるのだと、教えたのはあの人自身だ。
ザワリ。
いつか、どこかの地でオレに組み込まれた無数の穢れが目を覚ましてゆく。
先陣を切ってきたそいつの一撃が、交わし切ることをしなかったオレの肩を裂いた。
散る赤。――同時に、這い出す黒。

黒い饗宴が始まる。

薄く、可憐にも見える羽が標的の肉を刻む。くわりと、物理的にはありえないほど開いた真っ赤な口が骨をも砕く。そうしてオレの内から一時的に解き放たれた無数の――漆黒の蝶たちは、赤く新たに穢れながら花を咲かす。
乾いた荒野に、赤く、やがて黒く染みていく花を。


手向けの花








07. side/suzuha

「クッ、あ、っは」
もう耐えられない。敵ってこんなにも尽きないものなのか。次から次へ、と、
「はァッ……ぁ、は、っふ。ハ、」
屠っても屠っても、蛆虫みたいにわいてくる。どうしよう。どうしよう。
皮膚を破って肉を裂いて脂肪を抉って骨を砕いて臓腑を撒き散らして。
バケモノと形容されるカタチに変形したこの手を、振るい続けてどれほど経ったのか。
…………ああ、もう、
「息切らしてんぜ」「ようやくバテてきたか?」「さっさとやっちゃおうよ」
手が真っ赤。真っ赤。真っ赤。手だけじゃない、オレの視界のすべてを赤く――
もっともっともっともっと真っ赤に。染め続けよう?
だって、なぁ、どうしようか、本当に
「――っく、ぁは、ハッハハハハッハハ楽しい、なァ……!!」
本当にもうダメだ耐えられない視界が赤く染まってゆくオレ が 呑 まれ る。
楽しい楽しい楽しい楽しいたくさん次々と壊れてく面白いねェ悲鳴(コエ)を上げて?
自分のナカから引きずり出された内臓を見るのってどんな気分?
コワイなら目玉抉ってあげようか?
なんで泣いてんの? 痛い? 苦シい? 頚椎に一発ナらキモチイイでしョ?
赤、赤、赤、あカ、あか、アカ、ア、アアア、あ、アア、
紅。
――、あ――ァ――、あノ――ア、カ。アカ。ア――カ、ツ――……


酷い音がしてカラダの奥に何かが沈みこんだのと同時に激痛を認識した。


……終わってる。気がついたら、終わっていた。すべて。赤かった。
「起きたか」
あか、つき。疲れた顔してる。それと、なんだか少し、痛ましそうな、顔。
大丈夫かと、声をかけようとして起き上がった瞬間。
肌が突っ張るような感覚がして手を見た。……こびりついた血がひび割れている。
衣服も重い。赤黒く汚れて酷く鉄臭い。気持ち、悪い。
「……帰るぞ」
包帯を巻き終えた紅月はそれだけ言って背を向けた。静かに歩き出す。
――たった一瞬、オレに向けられた瞳の紅い色が網膜に焼き付いて離れなかった。

(……そんな眼を、させた、のは、……)


落ちない赤色








08. side/third person

「……スズって、僕らの味方だよね?」
「あ? 何言ってんだお前」
紅月はすぐにそう返したが、顔を向けて見やったそこにあるなゆりの表情が思いのほか神妙だったことに驚いた。そして改めて思考し、再び口を開く。
「……いつになく真面目な顔してどうした。涼羽のどこが敵に思える?」
尋ねる。なゆりは長く逡巡し、けれど意を決したように「僕、」と声を発した。
「スズに……攻撃しちゃったんだよ。もちろんわざとじゃないよ? スズは僕が怪我したのに気付いて、様子見に来てくれただけだった。う、ん、でも、後ろから近寄ってきたんだよね、それで……、……なんでだろう、す……すごく恐怖、を、感じた。気配に気付いた途端に怖気がして、僕、撃っちゃって……かわしてくれたけど……無表情だった。ううん、無表情なのはいつものことだけど、なんか違くって、なんて言うんだろう――僕を見る眼が、人間を見てるように感じられなかった――まるで、ガラクタを」
「もういい」
遮られ、なゆりは口を噤んだ。しかし脳内にはまだあの時に感じたものや、目に映った映像が思い出されたままで消えなかった。そんななゆりを紅月はもう見ていない。けれど答える声は明瞭だった。
「アイツは俺が勝手に連れてきた。そんでアイツは今、俺達のために戦ってくれてる。俺達の分のいくつかを、アイツが代わりに傷ついてる。疑うんじゃねェ。涼羽は味方だ」
――味方だ。
自分で言いながら、その言葉がどことなく空虚に聞こえるのは何故だろう、と。
そんな思いのせいなのか「……うん」と頷いた様子のなゆりの顔を見ることができなかった。涼羽を信じる気持ちは本物だ。しかし本物であっても、あの瞬間、紅月は
(俺はあの時どんな眼でアイツを見た?)
すぐに背を向けた自分。思い出せない。意識していなかった――無意識。
(……クソ、)
嫌な眼をしていなければいい。そう思う紅月の近くで、なゆりは空を見ていた。
暗雲。


敵、それとも味方?








09. side/third person(+suzuha)

僕を見る眼が、人間を見てるように感じられなかった――
まるで
ガラクタ


――見下ろすかのような?
扉の向こう側から聞こえてきた声に、涼羽は胸中で続きを予想し付け足した。
しかし正解の言葉が紡がれる前に紅月の「もういい」という声によって阻まれる。
どうして止めたのだろう。涼羽の中で純粋な疑問が湧いた。
ただ無表情に、しんと静まっている廊下に立ち尽くしていた。
そして自分はなぜ動かないのだろう、扉を開けないのだろうと次々に思考する。
そっと両手を上げ、手の平を見た。異常はない。
自身を構成するデータは相変わらずバグが多すぎるが、今更な話だ。
……いつものように、動けばいい。
そう考え、実行しようとは思うものの、なかなか扉に手を伸ばせなかった。
それが“ためらい”によるものだと思い至るまで数秒。
不意に、また扉の向こう側から紅月の声が聞こえた。
「アイツが前は何て呼ばれてたか覚えてるだろ」
――D。
なゆりが紅月に答えるよりも先に、涼羽の頭の中でこびりついて離れることのない声が蘇った。Dolly、Deathless、Destroyer、Devil、Darker、Danger――造語も交え様々な意味を含めたDという一文字。
「えと、D……だよね」
「ああ。俺達もそう呼んでた。アイツはひたすら強いし遠慮も躊躇も容赦もしない、知らない。しかも壊れもしない。Dはアルファベットの“四”番目……つまり“死”の象徴だったろ」
それは初耳だな、と涼羽は無感動にただ思った。
だがふと見ると、手が無意識に握り締められている。不思議に感じた。
「でも」
涼羽はそこを静かに離れていった。続きを聞くことはないまま。
静まり返って、冷えているようにさえ感じる廊下を歩いていく。

何の音もなかった。
ただ、歩きながら思い返していた。
紅月が約束してくれた言葉。敵から仲間になったあの瞬間の。
それだけを覚えていればいい。それだけを信じていればいい。
それだけ、を


それだけを信じてた








10. none





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