『今日は幸い毒は入ってないからあげるよ』
赤い飴
「今日からこれを一日に一粒ずつ食べなさい」
そう言って家で初めて出された“おやつ”は、飴だった。
今時ありえないような古い仕来りの多い実家は、幾度かリフォームしても毎度ご立派な日本家屋の様相で建てられていた。そして家族間であっても目上の相手には必ず様付け、普段着には和服を着せられる上に、七歳頃までは女物を着せられていた。幼い頃は女児より弱いと言われる男児が強く育つように、という風習だ。魔除けのような意味があるらしいが詳しくは知らない。
本家の人間は『斗伽』の姓を受け継ぎ、分家には『駿河』と『瀬戸』がある。分家の人間は結婚した相手の姓を名乗らなければならないという決まりのため、他にも系譜はいるんだろうけど代表的(本家の次男と長女の家だから)なのはこの二つくらいだ。
そんな家で初めておやつというものを出されたのは、九歳の時だった。
兄の硝也と分家の駿河の姓を持つ燈音が十歳、瀬戸の姓を持つ暁は十四歳――
※ ※ ※
「兄様。飴玉、いっぱいもらった。一人に一袋って」
日本人らしい黒髪に合わせるには異様な色彩を放つ、右眼は銀灰、左眼は深海のような色をした子供が両手に三つの和紙袋を持って歩み寄ってきた。
進む先にはまた二人の子供。一人は茶色の眼に赤茶けた髪、もう一人は来る子供と同じように黒髪と片目ずつ色の異なる眼を持っている。それもそのはずで、二人は兄弟だ。兄が硝也(しょうや)で弟は涼羽。赤茶けた髪の子供は燈音(ひお)という。
「へぇ、めっずらしー。ていうかこの家でこんなん出るの初めてじゃん」
たちまち燈音が駆け寄って袋を一つ手に取る。
「普段の食事だって精進料理みたいなのばっかなのにね。珍しい」
続いて硝也も追いつき、同じように涼羽から袋を一つ貰うとさっそく紐を解いて中身の確認をした。燈音もすぐに袋を開き、中から飴玉を一個、指先でつまみあげる。
ころり、と真ん丸の真っ赤な飴玉。
「……血の味がしそう」。そう涼羽が呟くほどに、それは濃密な赤色をしていた。
今までに見たことがないほどの真っ赤な飴玉。熟れきって今にも腐り始めそうなざくろの実のようでもあった。
「スズは開けないの?」
硝也が何となしに尋ねると、涼羽はこくり頷いた。次いでチラと燈音を見る。
「ここで開けたらとられそうでやだ」
警戒をはっきり伝える。すると燈音がフハッとふきだし、けらけらとおかしそうに笑った。それが不快なのか涼羽は眉を寄せる。「燈音」。硝也が少し咎めるように名前を呼ぶと、燈音はパッと笑い声を収めて「ごーめんごめん」とまったく悪びれた様子もなく言った。
「予想されるようなイタズラじゃつまんねェもん。やんない」
「ふーん……」
「代わりに眼球抉ってそこに飴玉一個ずつ突っ込んであげよっか」
「!」
「こら、変なこと言うな燈音。スズにそんなことしたら友達やめるぞ」
「チッ」
舌打ちをしつつもニヤニヤと笑みを浮かべたままの燈音に、涼羽はもともと不機嫌そうな表情を更にむっとさせた。それが楽しいのか、燈音は「アハ、」と軽く笑い声をこぼすとそれから飴玉を一つ口に放る。直後に硝也も飴を頬張りながら、「スズも食べな」と促した。それに涼羽も袋を開こうとしたのだが、ニィと笑んだ燈音が「もしかしてホントに突っ込んでほしかったァ?」と涼羽の和服を締める灰色の帯を引っ張り、途端に涼羽は仏頂面でその手を引っ叩いた。
「燈音嫌い」
それだけ言って踵を返す。どこか他の場所で飴を食べるつもりのようだ。だが数歩進んだところでふと振り返り、「一日に一粒だって、飴。父様が」そう言い残して再び歩を進める。
後ろで「そんなだから嫌われる一方なんだ」という兄と「面白いじゃん」という燈音の声がするのを聞きながら、涼羽は近頃よく通っている場所へと向かった。
本家の蔵(くら)の裏にその場所はある。
背もたれのない木の長椅子が一つ、咲き乱れる紫陽花に隠されるように置いてあった。かなり古びてはいるが子供が一人座ったところで支障はない。若干ギシリと軋む音をさせながら、涼羽はそこに腰掛けた。
和紙袋の紐を解いて中に手を入れる。指先で摘み出した飴玉は、やはり赤い。
舐めてみるとさほど濃い甘みではないのに、舌にべったりと残るような味がした。後味があまりよろしくない。病院で貰う薬のシロップのような感じだ。
「燈音なんか吐き出しそう……父様の言いつけだから食べるかな」
ぽつりとこぼしながら、歯を立てて飴を噛み砕く。そう長い間この奇妙な甘さを味わっていたくはないと思ったからだ。しかし、飴が割れたのと同時に涼羽はわずかに表情を変えた。
どろ、と飴玉の中から垂れてきた何か。強い甘み。
舌の上で粘性のあるその液体をころがすと、外側を包んでいた飴よりはよほど美味だということに気付いた。割れた飴を口の中であちこちに動かしながら、液体の方の味を堪能する。そして飴だけの味が残る頃になると、飴の破片はすべて噛み潰して飲み込んだ。
もう一つ、と手を伸ばそうとして――一日一粒――やめた。和紙袋の口を紐で閉じる。舌に残った後味に少しだけ嫌な顔をしながら、涼羽は辺りを囲む紫陽花の群れを眺めた。
雨の匂い。もうすぐ暗雲が近付いてくる。
※ ※ ※
飴玉を食べるようになってから、三人に体調のいい日はなくなった。
いつもどこかが痛む。特に頭痛は常に付き纏った。立ち眩みや目眩もするようになり、時には嘔吐もする。数時間ものあいだ平衡感覚がままならない日もあった。
「ぜってーさァ、この飴のせいだろ」
燈音はそう言いながら、片手にぶら下げた和紙袋をぷらぷらと揺らす。その中に入っているのは、あの血の滴り落ちそうな赤い飴玉。「じゃあ、食べない気?」。硝也がそう尋ねると燈音は黙ったまま何も答えなくなった。
決してもう食べないなどとは言わないだろう。
それはこの場にいる三人ともが、本人さえもがしっかりとわかっていることだった。
飴を食べなさいと言ったのは硝也と涼羽の父親にして、斗伽の当主。本家の当主の言葉は絶対だ。分家の者である燈音はおろか、実の息子である硝也と涼羽でさえ反駁は許されない。
本家の当主。
それは斗伽の血筋を受け継ぐ者たちにとって、王、規律、法、真理、唯一、理などといった絶対的ものに値する。そしてそれが覆されることは、ない。
「今日はもう食べたのか?」
硝也の問いに燈音は「まだ」と一言、いつもより素っ気なく答えた。
「じゃあ、」
「わーかってるって」
面倒くさそうに投げやりに言いながら袋の口を広げ、中から一つ飴玉を取り出す。しかしそれを口腔へ放り込む前に燈音は涼羽を見た。涼羽はぼんやりと窓の外を見たまま動かない。外は雨が降っていた。
「涼羽はもう食ったわけ?」
訊くが、返事はない。「すーずはァ? 聞こえてねーの?」言いつつ燈音が横からしなだれかかると、涼羽はようやく燈音の顔を見た。
「くっつくな」
普段よりいっそう不機嫌な声色。加えて殊更いやそうな顔をしている。そんな態度に燈音が気分を害さないわけもなく、「あ、っそ!」の『そ』の部分で涼羽を思い切り突き飛ばした。「燈音!」すぐさま硝也の叱責が飛ぶ。しかし突き飛ばした本人は飄々と「涼羽がくっつくなっつーから離してあげたんじゃん」と反省の色はまったく見せなかった。
一方、突き飛ばされたせいで壁に思い切り肩と側頭部をぶつけた涼羽は、何も言わずにただ黙って座り直す。
「スズ。大丈夫?」
心配そうな顔をする硝也にも、こくんと頷くのみ。
「で。今日はもう食ったのかって訊いてんだけど?」
燈音が憮然とした態度で再度そう尋ねると、涼羽は燈音の持つ飴の袋、そして自分の飴の袋、最後にまた燈音の方を見てから「食べた」と答えた。
「ホントかよ」
「……本当。一人で食べた」
「オマエいっつも一人で食ってんじゃん。こっそり捨ててんじゃねェ?」
「……しつこい。捨ててない」
「そーやって答えてんのもなんか歯切れ悪いしさァ。ウソだろ」
どんどん険悪になっていく雰囲気に硝也が割って入ろうとするものの、二人の口論は止まる様子を見せない。常に付き纏う頭の痛みなどによる苛立ちもあるのだろう、悪化するばかりだ。そのうち涼羽が「じゃあ目の前で食えばいいんだろ」といつもよりずっと荒い口調で言い放ち、乱暴に開いた袋から取り出した飴を食べた。
その日、二個目の飴だった。
結局、涼羽が燈音の見ている前で飴を口にしたことによって、口論は終えざるを得ない。日が暮れたあと燈音は分家へと帰り、それと入れ替わるようにして第二分家・瀬戸の暁(あかつき)が本家へとやって来た。“家業”の仕事の結果を報告するためだ。
とは言え成功したか否か、進行のプロセスで不備や問題は起きなかったか、報酬はきちんと頂けたのかどうか、この三つとその他に何かあれば付け足すのみで大した時間はかからない。
「暁」
報告を終えてきた暁に涼羽が声をかけると、暁は「涼羽様」と言いかけてすぐに「涼羽」と言い直した。作法にうるさい大人達の前以外では、様を付けないようにと互いの間で暗黙の了解があるからだ。
それでも当主のもとへ行った直後だったために様を付けかけた暁を涼羽は特段気にはせず、相手の服の裾にしがみついた。
暁は今日が休日なのにも関わらず中学校の制服を着ており、それが仕事をしてきたのだと暗に告げている。
しがみついた、と言っても裾を両手で掴んで身を寄せるだけの控えめな甘え方をする涼羽に、暁は微笑して自分よりずっと背の低い躰を抱き上げた。
「よ。少し久しぶりだな」
言えば、にこ……と少しだけ表情を和らげて涼羽が笑う。実兄の硝也でも滅多に見ない、燈音なら尚更見たこともないような表情。暁は涼羽の頭をくしゃくしゃと撫でた。
涼羽が甘えるのは自分だけだと暁自身も知っている。
普段涼羽に優しい実兄にすら甘えないので、その実兄である硝也からは若干妬まれていることも。それについては苦笑するしかないが、こうして涼羽が懐いてくれるのは純粋に嬉しく、また優越感も多少あった。
「おろして」
だが、今日は珍しく早々にそう言われる。不思議に思っていると、涼羽は咳をしながらまた「おろして」と懇願した。懇願。何か切羽詰っている。どうした、と暁が尋ねるよりも早く涼羽は自分からもがいて床に下りた。途端、
「 」
表現しがたい奇妙な水音とともに赤い水溜りが広がった。
床にうずくまって俯いた涼羽の顔の下からだ。
吐血。そうわかってすぐにこの家で常駐しているはずの薬師くすしを呼ぶために顔を上げると、「涼羽!」硝也が血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。そのまま涼羽の傍らに膝をつき、弟の背中をさすりながら泣きそうな顔で「死んだらどうしよう」と暁を見上げた。
「縁起でもないこと言うな。硝也、涼羽はずっと具合悪かったのか? 咳してた」
少し言いよどんだ後、硝也が口を開く。
「飴……アレを食べてから俺と燈音も体調を崩してるんだ」
「……!」
「それに一日に一個って言われてたけど今日、燈音がスズは飴食べてないんじゃないかって疑って、ケンカになって、そこでスズが目の前で食べて見せた……二個目だったんだと思う。暁、やっぱり二個食べたら、」
「経緯はわかった、ひとまずすぐに薬師を呼んできてくれ。そこの部屋に運ぶから」
あのクソガキ。暁は燈音の姿を頭に思い浮かべ、胸中で悪態をついた。
斗伽家専属の薬師が処置を終えてもすぐに回復とはいかず、涼羽の顔色は悪いままだ。
自分の仕事は終わったと言わんばかりにすぐ「では失礼します」と立ち上がりかけた薬師を、待ての一言で暁が呼び止める。
「涼羽はまだ九歳だろ。なんでもう耐毒訓練が始まってんだ?」
「当主様のご意向です」
薬師はにべもなく言った。愛想も表情もない。まるでロボットのような反応だった。
「十歳でもギリギリのはずだ。しかも訓練の説明も注意もしてねぇ」
「当主様のご意向です」
「…………チッ」
薬師の態度にももちろん苛立ったが、それより結局のところ暁も本家の当主には逆らえないのだという事実を実感して舌打ちした。当主の意向――それだけで反論を治められてしまう。薬師が部屋から出て行く音を背に、歯痒い思いで暁は眠る涼羽を見つめた。
翌朝、いつの間にか眠っていた暁は窓から射しこんできた日光で目を覚ます。
眠っていた間に硝也も来ていたようで、すぐ横にその姿が横たわっていた。暁も硝也も毛布がかけられている。この家に仕えている誰かがやったのだろう。
「う……」
聞こえた呻き声に、暁はぱっとそちらを向いた。
「涼羽? 起きたか?」
そっと前髪を梳くと、ゆっくり瞼が上がり銀灰と深海の色をした眼が見えてくる。その二つが少しだけ辺りを見回すようにきょろりと動き、やがて暁の方を向いて止まった。
しかし何か違和感がある。
視線は確かに暁の“方”を向いてはいるのだが、暁は見ていなかった。目が合わない。
「……どうした?」
悪い予感がして尋ねる。
「ん、なんか……すごく暗い」
それはあたってほしくなかった予想の範疇にある言葉だった。涼羽は今を完全に夜だと思っているのだろう、“目が暗闇に慣れない”ということに対してだけ怪訝な表情をしている。暁の目にはこんなにもはっきりと朝陽に照らされた室内が見えているというのに。
「涼羽。今、朝の六時十二分。……すごく、明るい」
そう言った後の涼羽の反応はわずかに目を見開いただけで、「そっか」と大きな反応はなかった。疑うことも怖がることも悲しんだりもしない、静かな理解。まだ九つの子供でもそれができてしまうようにこの家では育てられる。暁は目を伏せて「しばらく、学校は休まないとな」とこぼした。
「飴……二個目、食べる前。音がやけに聞こえ辛くなってたから、もしかしたら耳が聞こえなくなるのかもって思ってた。……でも、目か」
そう呟く涼羽の表情からは、何を思っているのか窺い知れない。
あの口論が始まる間際、燈音が言ったように歯切れが悪かったのは、声がどうしてもうまく聞き取れなかったためだ。ほとんど唇の動きで判断していたと言ってもいい。
けれど今、聴覚は元通り働いている。
そして視界には何も映らなかった。
一つ喜ぶべきことは、その眼が失明したわけではないということだった。
薬師によれば、完全に治るかは判らないものの視力は徐々に回復していくらしい。
それを聞いて当人以上に戸惑い沈んでいた硝弥は表情に久々の笑みを見せ、当の涼羽もやはり安堵したのかわずかにほっとした様子で、暁は胸を撫で下ろす。
「なァ、マジで見えねーの? ほらコレは?」
「こらッ、なに見せてんだクソガキ!」
「あァ? 見えてねっつのバァカ!」
燈音と暁のこんな掛け合いも増えたが、涼羽はそれより暁が傍にいる機会が多くなったことが嬉しいようだった。それと同時に硝也からのトゲトゲとした視線が増えたが、そっちの方はどうしようもないことだ。
半年後、薬師は「これ以上回復する見込みはありません」と無感動に言い放った。
涼羽の目は完全には治っていない。けれどこれ以上によくなることはないという。
全くの暗闇から少しずつ目が見えてくるようになった時は喜んだものだが、それと共に涼羽の目に“欠陥”ができてしまったことも判明した。
光に対して尋常ではないほど敏感に反応する。
白熱灯のような暖色の光ならまだいいが、蛍光灯や日光などのはっきりとした光は特に眩しいらしく、晴天の日に一時間ほど外にいるだけでも頭痛を催す。
燈音が太陽光を鏡で反射させて涼羽にあてるという悪戯をした時などは、目の奥が痛いと言ったきり体調を崩し、そのうえ視力が一時的に著しく再度低下した。
だいたい視力自体も元のものよりはだいぶ下がったままだ。
「……今日も飴、食べなきゃ」
咄嗟に『そんなものもういい』と言いそうになるのを抑え、暁は涼羽の頭を撫でた。
斗伽の人間は法律の外にいる。
そして自らを自分達の戒律で縛っている。
その世界は――異常。
※ ※ ※
「今日は幸い毒は入ってないからあげるよ」
そう言って迷子になっていた中二の少年に飴をあげた。
「……普段は入ってんの? 毒……」「どく!? いつもは入ってる、んですか?」
すると見事な二重奏。椎と中二の少年は驚いた顔をして、オレの手の上にある飴を凝視している。いや、椎はほとんど表情変わってないけど。
「……さあ?」
曖昧にごまかして水色の飴をオレより一回り小さいその手に渡した。
少し心配そうな顔をしている。本当に毒なんて入ってないから安心していいのに。
まあ、毒よりも厄介な“薬”の入った飴なら持ってるけどね――どちらも毒か。
毒を捨てて得たのは、新しい毒だったっていうことだ。
fin.
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常軌を逸している斗伽の家。
冒頭と最後の文はチャットのログから抜粋してます。
ユリヤ
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