かなり時間が経過した後の話です。未来編で番外編。






空が青くて、透き通るみたいに澄んでて、綺麗なほどに泣きたくなる。
そんな気持ちを知ってる?
あまりに遠くて届かない。どんなに渇望しても。あの場所に、どんなに焦がれても。
永遠に届かない。わかりきったことだと馬鹿にされるだろうか。
でも、どうしても、あの空に溶けて――そして透明になりたいと、願ってる。
理由は深く考えたことはないんだけど。
たぶん、自分にないものほど・・・・・・手に入らないものほど欲しくなるのと同じ。

今、何を考えてる? ――オレは、



硝子の羽は空をべない



こうして会うのはもう何度目になっただろう。41――もとい紫妃は今日も整った形の唇に似合いの紅を引いて、艶然と笑みを描いている。手には見慣れた鞄、いつものドラッグの受け渡し。情報交換などに使われるカフェでもたまに会うけれど、やっぱりこうして薄闇の中で会う方がしっくりくる気がした。
・・・・・・・綺麗な手だな、といつも思う。この手で運ぶものはきっと花なんかの方が似合うだろうに。そう考えながらもオレはいつも通り鞄を受け取って、別の鞄を渡す。一瞬だけ触れた、手。

「じゃ、次はまた来月ね。また同じモノでいいんでしょ?」
「ん。・・・・・・ああでも、来月は別のヤツが来るから」
「そう。品に手でもつけたの?」
「別にアズマが怒るようなことしたワケじゃないよ。じゃ・・・・・・バイバイ、紫妃」

ええ、と軽く掌をあげて紫妃がゆっくり踵を返していく。
いつもは見送らないそれを、最後まで見ていた。遠ざかっていく軽い靴音。建物の下から月の下へ出て行った後姿は次第に見えなくなっていく。完全に見えなくなる直前に目を閉じた。笑み、声、靴音、後姿を思い返して――次に目を開けた時には、月光を浴びたコンクリートだけ。
・・・・・・来月は誰がここへ来るだろう。アズマが自分で来ればいいのに。来るかな? できれば紫妃へ下手に手を出さないヤツがいいけど。それはオレが関与できることじゃないか――二度と。

紫妃は、今日からいつまでオレのことを覚えていてくれる?
いずれ記憶から風化して消え去っても、何か残るものはあるんだろうか。
これは言わないけど――きっともう言えないけど。
オレは紫妃に逢えて、よかったよ。よかったって思えるんだ。
・・・・・・「バイバイ」とまた小さく、呟いた。

翌日は曇り空だった。

久しぶりに学校へ行って、でも殴られたりしに行くんじゃなくて、ただ翔の顔を見ようと思った。いつもの屋上。待ち合わせでもしたように、当然な面持ちで二人並ぶ。
隣に感じる存在。近くにも遠くにも思う。だけどこの位置が一番安心した。
・・・・・・もし、ここから翔がいなくなったら。それはどんなに不安定なことだろう。いつの間にかこの場所には二人でいるのが当たり前になっていて、互いが横にいることがあまりに自然で。
じっと空を見つめた。白い空。でも少し灰に近い。
あの向こうに――広がる青を想像して、無意識に目を細めた。

「何か見える?」

声に反応して翔の方を見れば、翔も少しだけ上向いて空を見上げていた。別に、少し眩しかっただけ、といつもの調子で返した。「目、ほんと光に弱いな」。曇り空なのにという意味もこもってるんだろう、そう言いながら翔の視線は空からオレへと移った。
今日はカラコンをしてないのか。黒い翔の瞳。夜空色の、眼。
「・・・・・・」俯き、人差し指と親指でソフトレンズの黒いカラコンを自分の眼からとった。視界が少しだけ広がる。そうしてまた翔の方を見た。

「久しぶりに見たな、その色。どうしたのいきなりカラコンとって」
「なんとなく。生で翔の眼、見たいと思ったから」
「生で、って・・・・・・そんなに変わらないと思うよ?」

少しおかしそうに笑みを浮かべた翔。整った顔にやわらかさが混じる。
いつもそうやって笑ってればいいのに。――ずっと笑っていてほしいと思うのに。

「・・・・・・オレ、翔の笑った顔、好きだよ」
「? また唐突だね」
「綺麗だし。オレが一番多く見てるなんて勿体ないだろ。もっと笑ってみなよ。探せばきっと翔でも笑えることが、もっとあるだろうから」

たとえばオレがいなくなったとしても、お前が

「で、せっかくカラコンとったんだからもっと笑って。今」

綺麗に笑んでくれますように

「そんなこと言われても・・・・・・けっこう困るんだけどね」

そんな風に困ったような苦笑でもいい。本当はもうどんな表情でもいいんだ。全部、覚えておくから。忘れたりしないから。翔と出逢ってから今までの最後まで、すべて大事な想い出なんだと言ったら、大げさだって笑う?
二人でいた時間。その間に流れた空、雲、痛み、笑顔、何もかもへ本当は「ありがとう」くらい言いたいんだけれど。そうしたら本気で訝しく思われるだろうし――何だか、言ったら“最後”だと告げているような気がして。
結局何も言わずに空を見た。遠く、遠く、見えない先を。
・・・・・・手を伸ばしてみようとして、そっと指先を握り締めた。

その次の日は、抜けるような青空だった。

鍔のついた帽子を被り、薄く藍色に色付いたサングラスをかけ、カヲルを乗せた車椅子を押す。こんな青空をとても好んでいるカヲルはとても喜んだ。なかなか外に出してやれなくて不健康な生活をさせてる分、こうやって嬉しそうに笑ってくれているのを見ると心底よかったなと思う。
綺麗な白い髪は今、陽光を反射してきらきら輝いてるんだろうな。
眩しくて、オレには見ることができないけど。代わりに片手で頭を撫でると、こっちを振り向いて純粋な笑みを見せてくれた。
真っ直ぐな感情。誰よりも透明なこの存在を、オレは少しでも護れたのかな。
たくさん傷つけた。蔑ろに扱って酷い言葉を投げつけて、冷めた眼を向けた。
それでも身勝手に求めて、傍に置いて、大切で特別なものにした。
だけどお前は穢れない。
オレが希求して、憧憬して、嫉妬して、切望して、懇願したままにいてくれた。

オレはカヲルに充分なものを返せた? お前は今、幸せ?

「いきなり来ちゃったけど・・・・・・いるかな、葵」

見慣れたアパートの前。葵に会えるかもしれないと、カヲルはもう期待した眼で扉を見ている。いつもの音で鳴るインターホン。すると中から聞こえた「はーい」という声に、より一層カヲルの表情が明るくなって。――きっと、オレも。

「わ、こんな晴れた日に来るなんて珍しいね! どうぞ上がって、おやつあるよ」

相変わらずほのぼのとした空気で迎え入れてくれる。
車椅子は玄関に置いてカヲルを抱え、奥へ入ればいつもの甘い匂いが漂っていた。陽が入ってるためだろう、部屋の中は心地よく暖かかった。帽子とサングラスを外すとやっぱり結構眩しい。でもカヲルを窓辺の近くに座らせて、オレもその隣に腰を下ろした。

「ちょうどさっきスコーンが焼き上がったんだ。ジャムつけて食べよう?」

そう言って葵はほんわり微笑む。――いつから、オレの周囲にはこんなきれいな笑顔が増えていったんだろう。黒ずんで曖昧にぼやけていたオレの汚れきっていた世界が、浄化されたように澄んで見えてきたのは最近のことだ。
とても綺麗で、脆弱で、透明で。そんなものが満ちてきて――護りたいと思うのと共に、それらに対する願望が強く強く、オレの中で広がっていく。満ちて、染み込んで、溶け合って。

ただ、ひたすらに

「どのジャムにする?」
「イチゴ」
「涼羽くんって本当にイチゴ味好きだよねー。はい、どうぞ」

赤くおいしそうなジャムをつけたスコーンをオレに渡して、カヲルにも同じように甲斐甲斐しく世話を焼いている。葵って保父とかに向いてるよな、なんて考えながら渡されたそれをさっそく口に運んだ。・・・・・・うま。好みの味がして、黙々と食べた。
カヲルと葵も和やかにスコーンを齧っている。――その光景が妙に、眩しくて。
最後の一口を飲み込んだ後、自然と目を細めて二人を眺めていた。
じんわりと、胸から何かが溶けていくような気持ちに囚われる。同時にゆっくりと心の中がクリアになっていくような感覚。酷く透き通った水で世界が満たされていくような、そんな在り得るはずのない思いで陽のあたる場所を見ていた。

もう、潮時なんだと、思った

「・・・・・・用事、思い出した。少し行って来るから、葵。カヲルのことよろしく」
「え? うん、わかった。じゃあ気をつけ――・・・・・どうしたの?」
「・・・・・・カヲル、」

白い手が精一杯きつくオレの袖を掴んでいる。薄い色の瞳が不安そうに揺れていた。・・・・・・そんなに必死な眼をしなくていいのに。行きにくいだろ、・・・・・・お前を置いていき辛くなる。ほら、傍にちゃんと葵がいるんだから大丈夫。――大丈夫。
でも「離しな」と言ってもカヲルは首を横に振った。
どうして泣きそうな顔すんの。さっきまで笑ってただろ。
笑って・・・・・・そのままでいてくれれば、よかった、のに。

「カヲル。心配しなくていいから、何も。だから、」

掴まれた袖はそのままに、カヲルの身体を軽く抱き締めた。低い体温。後頭部をやわらかく撫でると、きらきらした髪が指にゆるく絡んですぐ解ける。白く反射する光。儚く強く眼に映った。――その様子を焼きつけた瞼を下ろし、そっと耳元に顔を寄せて。

「――追って来たら許さない」

腕の中の身体が小さく震えるのがわかった。・・・・・・いつかも似たような言葉を押し付けたような記憶がある。一瞬だけ抱き締める腕に力を込め、離れ際に「忘れないで」と一方的な約束をした。
袖から離れたカヲルの手が、またオレを捕まえようとして指先を掠める。届かなかったその手を見て微笑んだ。――どうかうまく笑えていますように。

「行って来る。
 ・・・・・・葵、ありがとう。いい子にしてなよカヲル、ちゃんと見てるから」

少し不思議そうな顔と、とても心細そうな顔と。両方に手を振ってから外へ出て行った。手に持った帽子とサングラスはつけずに、眩しい世界をそのまま歩く。
顔を上げれば眼に痛いほどの光と青。
透き通るように澄んでいて、あまりにも綺麗だった。

あの薄暗いカフェの奥で紫妃と話しながら、何度この空を窓硝子越しに見ただろう。
白い空の下、翔の隣で上を仰いで、何度この空を雲の向こうに想っただろう。
葵の朗らかな笑顔を見るたびに陽だまりを思い描いて、何度もこの空を感じて。
カヲルとは何度、この空の下を歩いただろう?
この空を見て微笑んだカヲルの顔を、オレは何度見れた?

ああ、すべて、愛してる

吸い込まれそうなほどに澄み渡った青い空に焦がれて。
真っ直ぐに降り注いでくる太陽の光を手に取りたくて。
何よりも透明な水になれたなら、どんなに綺麗な世界を映せるだろう?
それとも誰かの涙の一雫になって――静かに消えていけたなら。
ひたすらに。

た だ 、 透 明 に な り た か っ た

とても高い場所であるはずのそこに立っても、求めるものはまだ高く、遠い。
無力な手をどんなに伸ばしても指先だって届きはしない。
それでも透明な天空をせめて真っ直ぐに見つめながら、願っていた。
傾ぐ身体。青に染まる視界。風を裂いていく音。――遠ざかる、すべて。
願いは飛翔できないのだと改めて知る――


深い青の下から見上げた空は、泣きたくなるほど綺麗で、

硝子の砕ける音がした



fin.
+++++++++++++++++++


最後だからすべてを愛せたわけじゃない
最後だからすべてを愛してると気付けただけ
でも最後だから、愛するすべての幸せを願えた

綺麗な悲願を書きたかった。
心残り、、、紫妃と進展した場合の仲がよくわからない&カヲルを喋らせられなかった
最後は海へ沈んでいったのです。どうか上がってきませんように。
落ちたではなく届かなかった、或いは飛べなかったと表したい(何


ユリヤ





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Photo by スピカに恋をして