日が落ちて数時間が経ち、真っ暗な準備室のスタンドライトだけを点灯させる。
軋んだ音を立てるパイプ椅子に腰掛けてから、それはスタートした。
"カチリ"。
イビツ ( 歪 )
開始から二十分が経過していた。
「お前なんか死ねばいいのに」
ぼそりと呟かれたのは、あまりに愚直で突き刺さるほど真っ直ぐで何よりもわかりやすく剥き出しな悪意だった。いや、悪いなどとさえ思っていないのかもしれない。それほどオブラートも飾り気もない、純粋な言葉だった。
しかもそれを吐き出したのが、教師という職業に就いている人間で、更に悪口の矛先――ある一人の生徒のすぐ目の前で言ったというのだから、いっそ笑い話だ。
だがそれを言われた方であるその生徒、二年D組、斗伽涼羽は視線まで合わせていながら微動だにしない。「それで?」むしろ余裕綽々の態度で返した。それが癇に障ったのか、悪口を放った担任の眉間に皺が寄る。
(つまんないな。言ってることその辺の高校生と同じって気付いてないのか。
小学生でももっと捻ったこと言えるんじゃないかな・・・・・あ、)
ふと動体視力に優れた目が捕らえたのは、飛んでくる平手。
反射的にそれを片手で掴み防ぐと、教師の表情は一気に怒気と不快感をあらわにした。
何事かを怒鳴っている――もはや聞く気のない涼羽にはその内容も耳に入ってこない。
ただ、面倒だな、と思う。そしてぱっと手を離し、気だるそうに言った。
「どーぞ。殴らせてあげるよ」
「な――」
「それしかストレス解消できないんだろ知ってるよオレ先生が家で奥さんに暴りょ」
く、まで言った途端に左頬を思いきり叩かれる。
それでも涼羽はそこで初めて口端を吊り上げて笑み、「ホントだったんだ?」とカマをかけたことを明かした。すると髪を鷲掴み床に引き倒され、たちまち腹部に何度も蹴りを入れられる。ここ三日ほどろくに食べていない空の胃に、酷くめり込んでくる気がして最悪に気持ち悪くなった。
椅子が倒れて大きな音がする。怒鳴り声もする。人間の嬲られる音がする。
それでもここには誰も来ない。
ここにいる内の一人が、斗伽涼羽である限り。
教師間での黙認。暗黙の了解。そういったものによってこの"説教"は見て見ぬ振りをされる。
聞いたものさえ聞かなかったことに。そう、どんな事があっても。
何かを吐き捨てられている。
何かを吐きかけられている。
何かを、際限なく、幾度も、幾度も。――けれど何も干渉してこない。
何も影響してこない。何も。オレの中までは――( 入り込ませてやるものか )
「泣きながら謝れば今日は許してやるほら泣けよ許してくださいって言ってみろいつもいつも問題ばかり起こしやがってろくたら登校もしてないくせに迷惑をかけることだけは一人前だなお前なんか受け持ってる俺は不幸だまったくツイてないこんなやつしんでくれればいいのにああでもここでしんだりするなよおれがころしたことになっちまうすくなくともがっこうのそとでしねいしょなんかのこしたりするなよなぁおいきいてるのか、」
ホントにうるさくグチャグチャとよく喋るな、と思っているところに肩を蹴って転がされ、背中を何度も踏みつけられた。最初の一撃きり、顔へはまったく手を出してこない。こんな事をしておいてまだ"見えないところを"と意識しているのかと考えると、涼羽は妙におかしさがこみ上げてきてつい笑ってしまった。
「なに笑ってんだよムカツクなぁお前マゾかもっと痛くしてほしいのかそれとも縛ってやるか?」「何それ奥さんとヤってること?」「死ね」
肩を蹴られてまた引っくり返される。仰向け。さっさと咽び泣いて許しを請うてみろと
、また蹴りを。いい加減に芸がないな、と涼羽はそれを冷め切った目で見ていたが、肩口を蹴ろうとして狙いを外したらしい足が喉にあたり、酷く咽た。
途端に喜色を帯びた担任の顔に気味悪さを覚える。嫌な予想をした。きっと外れないと思いながら、今度は明確に喉を狙ってきた足を見て涼羽は、あぁやっぱり、と諦念を感じる。
蹴られた回数が百の半分に届きそうな頃、血を吐いた。
さすがに驚いたのか担任の顔に狼狽の色が見える。そのマヌケ面に血液混じりの唾を吐きかけてやりたいと思いながら、涼羽は何事もなかったかのように黙って口の端についた血液を拭った。
声は出るだろうか。ふと思い、「あ」という音を何度か出してみる。僅かに掠れているが特に問題はないようだった。しかし、そうなるとつまり蹴られた衝撃で喉の内側が傷付いたわけではない――他の箇所に問題があるということになる。胃やっちゃったかな、とあまりにも軽い調子で内心呟いた。
それから涼羽は「もういいんだ?」と担任に目を向ける。すぐに苛立ちを隠さない表情を返された。
「血を吐いたってのにへっちゃらな顔して、お前おかしいんじゃないか」
「慣れてるから」
口癖のようにその言葉が出た。ちらりと時計を見る。午後九時。そろそろ此処から出してもらえるだろうかと立ち上がりかけた瞬間、前髪を掴まれて上向かされた。涼羽の眉間に皺が寄る。いい加減しつこい。そう言いたげな顔だが、担任はそれ以上に不機嫌な顔をしていた。
「これだけやっても全然だな。咽たから期待したんだが」
「? ・・・・・ああ、泣いて謝れってやつか。変態みたいな命令だ、アンタよく教職に就けたね。・・・・ハッ、喉なんか蹴られたんじゃまともに喘げませんケド?」
軽く笑い声を立てる。すると前髪を掴まれたまま頭を床に押し付けられ、また罵倒を繰り返された。涼羽の聴覚はその"音"だけを拾いながら、"内容"を意識から弾き出す。いつの間にかそんなことができるようになっていた。聞いて傷つくくらいなら、最初から理解しなければいいのだと防衛本能が働いたのだろうか。
――どうでもいい。涼羽は心底蔑んだ眼で担任を見た。口端を、吊り上げて。
密かに手を差し入れたズボンのポケットから"カチリ"と音が鳴る。
「そんだけ怒鳴ってよく疲れないな・・・・カルシウム足りてないんじゃないの。それとも溜まってる? 足開いてあげようか、センセ。"あの日"と同じ」
「!」
「・・・・・安心しなよ、今日のことも全部全部全部全部ヒミツにしてあげるから」
その代わり――妙に大人びた笑み。
黒いカラーコンタクトの奥の銀灰と海色の瞳が僅かに揺らめいた。
彼はどんなに理不尽で非情で傲慢な"説教"でも、甘んじて受け入れる。
それが結局のところ自分にとって多少なりとも利が生まれると知っているからだ。
暴言や暴力の様子を録音したテープはいくつもある。いつでも"使える"。
そしてそれは相手にもわかっているのだ。
学校という偽善的で保守的でそのくせ異端を抱え込んでしまう場所において、この現状以上の脅迫があるだろうか?
歪んでる――何に対してか、或いは自分も含めた全てに対してかは判らないが、涼羽はそう思いながらだらしなく緩んだネクタイに手をかけた。
fin.
━・━・━・━・━・━・━・
涼羽、暴行シーンのみしっかり録音してます。意図的に伏線未消化。
成績はまあ良好なものの、学校サボってもサボっても留年しない理由。
荒いアイディアだな/(^o^)\
加筆。
ユリヤ
|
|